都市モビリティと、分散経済圏の再構築と大量輸送

人の移動は、都市の経済循環が成長し続けることで、拡張してきたと言える。そして、現在のコロナ影響によって、どのように変化してゆくだろうか?、経済の踊り場と表現される今、いろいろな局面で人類の新たな選択をしなければならないことは、間違いない。
当然のことではあるが、経済成長に合わせて、人が集まる場所は価値が高くなり、その場所を中心に、まるで水が流れるように、遠くなるにつれて、価値は低くなってゆく。こうして、都市と郊外という経済の格差が生まれ、市街地が無計画に郊外に広がってゆく「スプロール現象」は、移動と表裏一体の関係になっている。

ここで、経済と移動に関して、考察する必要がある。
ある資料のFACTではこうだ、、

米国の大都市圏では、通勤者の5%した、公共交通機関を利用しない。対象的にシンガポールやロンドンでは、50%も利用されるという。また、新興経済国では、車移動が一般的であり、低所得国では、BRTなどの大量輸送が移動手段として利用される。
私自身も家から会社まで、わずか5kmくらいの距離を自動車で通勤している。どうやら、いくつかのInsightがここにあると思われる。

ひとつは、経済圏の土地の価値だ。同じ経済でも年の広さによる経済密度がシンガポールやロンドンの方が、米国よりずっと高い。だから、駐車場の利用料金や渋滞における価値観では、公共機関を選択する人が多くなるのは当然であり、50%というのは、マス層を示している。

もうひとつは、格差社会にある。自動車を購入することが、当たり前のようにある日本においては、特別な差別感もないだろうが、車での移動は、贅沢な事であるということだ。

本当に反省しかない、、わずか5kmに排ガスを撒き散らす外車に乗って、駐車場で一日2000円を支払う。脱炭素とか、サスティナブルと言っている私はこう言い訳をする。”時間が惜しい!”と、、笑えますよね?

このinsightから解決策を提案するなら、「分散経済圏の再構築」と「大量輸送による経済圏と郊外とのシームレス」を挙げる。そして、高所得者は先んじて、テクノロジーの高度化における経済実装に積極的に参加し、新たな経済をリードし、お金を使うことだ。何も考えず、お金を使う人もいて良いと思う。結局、社会の為になっているので、、

Electric Vehicle in Park Charging station in UK Street

ここで言う、分散経済圏の再構築とは、経済密度を下げると都市デザインと同時に経済の先細りを起こさないように、独立的な経済循環の基盤を確立することが重要である。この分散経済圏と郊外との距離をシームレスに大量移動することで、労働力を集中する。とりわけ、コロナでどこでも仕事ができるような状況を是としているが、全く効率的ではないし、プロダクト開発は不都合が多い。家で仕事ができる人とできない人の差別や格差を生んでしまう可能性だってあると思える、、

個人的には、次の一手となるのは、再生可能エネルギーによる経済循環へのアプローチと考えているが、経済が循環することに期待できない場所だって存在している。そうした場所は、公共交通機関もなく、ファースト/ラストマイル問題が顕在化するだろう。

この問題には、再生可能エネルギーを利用するEV普及が最善であるが、マス層へのEV普及は、極めて鈍化傾向にある。バッテリーが高すぎて、購入にハードルがある。

まあ、環境意識も低さにあげられる。この転換こそ、経済の末端であり、経済課題の縮図として捉えられなければならいのであろう。

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