大企業病を脱し、破壊的イノベーションを起こすための条件とは?

法政大学経営大学院 長谷川卓也氏


時代を切り拓くキーパーソンへのインタビュー、第8回は法政大学経営大学院の長谷川卓也氏。新卒で入社した旭化成で、後にノーベル賞を受賞する吉野彰氏の隣の研究所で研究活動を開始。リチウムイオン電池部品を商品化し、その技術を日産自動車へ持ち込んだ。100年に一度の転換期といわれる自動車業界で、長谷川氏が考える「破壊的イノベーションの条件」とは。

旭化成と日産で燃料電池の研究に取り組む


―長谷川さんのご経歴を、簡単に教えてください。

僕はもともと旭化成の研究者だったんです。新卒で入社して、後にノーベル賞を取られた吉野彰さんの隣の研究所でリチウムイオン電池用セパレーターの研究開発をやっていました。そこから2006年に日産自動車へ移り、そのころ日産でメインストリームではなかった新しい燃料電池の開発を始めたんです。 

2012年、日産がSIR(Senior Innovation Researcher)制度というのをスタートさせました。一定の契約期間で予算をもらって革新的な研究に取り組み、トップレベルの成果を求めるという日産独自の制度です。僕はその第1号として、R&D担当役員直属のチームを作らせていただき燃料電池の研究をやったんですね。いろいろな経緯を経て2016年に「技術経営」の博士号を取り、今は法政大学でイノベーション論などを教えています。


―SIR(Senior Innovation Researcher)としての研究生活は、どのようなものだったのですか?

SIRは、ものすごくハイリスク・ハイリターンな制度です。少人数の独立チームで、大企業では難しいようなイノベーションを目指せる代わりに、成果を出せなければ終了。報酬体系も従来の人事制度ではおさまらないので、SIRに選ばれた3名はいったん日産を退職し、契約社員扱いになりました。生きるか死ぬかみたいなコミット&ターゲットを達成できなかったら、その時点で契約終了です。

イノベーションの条件は「少人数」


経営学では「スカンクワークス」っていうんですけど、新しいイノベーションを起こすときって、人数が多いとかえって硬直化してしまうんですね。最少の人数で最大の成果を出すために、脳みそは1つから3つぐらいで、そこに20人くらいの職人さんだけで開発するっていうのが理想なんですね。

―大きな組織より、少人数のチームの方がイノベーションを生み出しやすいと。

この「スカンクワークス」という考え方って、実はアメリカの航空機・宇宙関連機器のロッキード・マーティン社の伝統なんです。ロッキードは世界でも最高のイノベーション企業。話は第二次世界大戦までさかのぼりますが、まだ日本が参戦する前、ドイツのメッサーシュミット社がジェット戦闘機を作ったんですね。 

その驚異は大きく、アメリカは「あんな飛行機が飛んできたら偉いことになる」と恐怖におののきました。当時はまだアメリカも参戦していなかったんですが、「準備だけはしておかねば」ということで1943年、ロッキード社にアメリカ軍が相談に行ったんですね。 

詳細な経緯は一切記録がないのですが、その後、アメリカの運命を決める新兵器の開発を、たった1人のケリー・ジョンソンという天才エンジニアと23人の設計者、30人の職工だけで成功させたんです。しかもわずか「143日」という短い期間で。 
(「スカンク・ワークスの秘密」ベン・R・リッチ(講談社))
Skunk Works

(ロッキード・マーティン社が今も掲げる、スカンクワークスの理念)

―国家の威信をかけた兵器の開発が、そこまで少人数の閉じたチームで行われていたとは驚きです。

ケリー・ジョンソンは彼らとともに、秘密基地で開発を行いました。その小さなバラック小屋の横が有害なプラスチック工場で、すごく臭かったらしいんですね。で、チームメンバーがある日、外部からの電話を受けて「はい、こちらスカンクワークス」と。それをみんなが気に入って、可愛いスカンクのキャラクターがロッキードのトレードマークになったんです。 

わずか50人ほどのチームが、143日でアメリカ初のジェット戦闘機の試作に成功し、それでアメリカが自信を持って第二次世界大戦に突入したという、ドラマみたいなお話なんですね。


「本当のマジシャンは、僕らじゃなくて現場の人たち」


これは後から経営を学んで気がついたんですが、僕が日産のSIR制度でやったこともまさにスカンクワークスでした。チームを作る際、僕は博士号をもった人材を1人も採用しなかったんです。主メンバーは高卒や高専卒の現場の人たち。中央職業能力開発協会がやっている「技能五輪」といって、23歳以下の技能者たちが集まる大会があるんですが、「その選手経験者を使わせてください」と頼み込んだんです。

―まさに少数精鋭の職人たちからなるチームですね。

博士号を持っている人たちは、品質管理など最後のステージでは絶対に必要だけど、初期の研究というステージではあまり役に立ちません。ほんとうの魔術師=マジシャンは僕らじゃなくて、現場の人たちなんです。 

僕はただポンチ絵を描いて、「こういう風にやったら作れるかもしれないんだけど、ちょっとやってみない?」って言うだけ。あとは全部彼らがやってくれました。

Businessman on blurred background using wireframe holographic 3D digital projection of an engine


―いわば「日産版スカンクワークス」はその後、どうなったのですか?

燃料電池の研究は成果を出せたんですが、そこから先の社会実装にはまた別のハードルがありました。よく「閉塞した現代社会」という言い方がされますが、土台のシステムができない限り、僕が日産でできることはこれが精一杯だなというところが分かったんです。 

経営学者のC・クリステンセンは「”イノベーションのジレンマ”への挑戦」という論文で、閉塞した大企業を救う3つの処方箋を提案しています。1つはM&A。大企業自身が破壊的イノベーションを起こすのはもう無理だから、外から買ってきなさいと。 

2つ目は新たな事業体としてスピンアウトさせる方法。そして3つ目が、僕のやった(日産版)スカンクワークスのように、鉄のカーテンで区切った小さなチームを作ってイノベーションを起こす方法です。 

僕もただ無理だったと諦めるのではなく、これからもいろんな人と一緒に挑戦していけば、クリステンセンも見つけられなかった第4の解決策が見つかるかもしれない、という希望はもっています。

(経営学の名著『イノベーションのジレンマ』(1997)。この解決策編にあたる論文「“イノベーションのジレンマ”への挑戦」は、ハーバード・ビジネス・レビューの2000年3月号に所収されている)

AZAPAにも期待したい、破壊的イノベーション


―AZAPAもまた組織として大きくなりつつありますが、長谷川さんからご覧になっていかがですか。

まさにこの2年間、近藤社長と様々な議論をしてきました。彼と僕はかなりシンクロしてると思います。彼はもともと、経営側じゃなくてエンジニア側でしょう。今のAZAPAがいわゆる「大企業体質」になりかけているとしたら、それこそ社長自身が自分をSIRに任命するぐらいのことが必要かもしれないですね。そういう会社の方が、やっぱりイノベーションは起きやすいですよ。風穴を開けてほしい。 

大企業であっても、常にイノベーションを起こし続けている事例はあります。たとえば3Mとジョンソン・エンド・ジョンソン。この2社の株価は約150年もの間、上がり続けているんです。なぜそんな魔法みたいなことができるかというと、社内のチームが全部「スカンクワークス」なんですよ

―全部ですか?

ジョンソン・エンド・ジョンソンでは、常に小さなチームが好き勝手に動いていて、商品の新陳代謝が活発です。大企業の停滞を防ぐためには、商品の多様性に一定の効果がある。これはもうすでに証明されています。


自動車業界でも、クルマしか作っていない会社は動脈硬化を起こしやすいですよ。本業に集中しようと枝葉の事業を売却するのは、安定の時代には正しい戦略なんですが、変化の時代にあっては組織がもろくなるだけ。 

クリスタルクリアの結晶体は、金づちでコンっと打つだけで粉々に砕けてしまいます。生物多様性条約でも「多様性」と言われているように、イノベーションにも多様性が必要なんです

―「多様性」は、これからますます重要なキーワードになってきますよね。

多様性って、多くの人が目指す「効率化」や「選択と集中」みたいなキーワードとは真っ向から対立するでしょう。本来は「選択と集中」に「拡大と膨張」もセットにしないと前に進めないんだけど、みんな「選択と集中」ばっかり。それではどんどん組織がもろく壊れやすくなるだけで、結局何の成長もないんです。

―多様性に向かうことを、恐れる組織も多いのでしょうか。

お店を広げるのは、失敗する可能性のほうが大きいからね。でも100個のうち1個しか成功しないのに、1個もチャレンジしなかったら一生成功しないでしょう。最初から100発100中を期待してはダメなんです。 

統計的に考えても、経営層が選択と集中にポジションを置くのではなく、常にチャレンジしている組織の方が成長しやすいのは明らか。AZAPAさんにもぜひ、さらなるイノベーションを起こしてほしいですね。


長谷川卓也
 

専門は技術経営、機能性フィルム、燃料電池など。1989年、旭化成工業株式会社入社。1994年にリチウムイオン電池用セパレーター研究室を立ち上げて主査となり、その後商品化。1997~1999年テキサス大学オースチン校化学工学科客員研究員。2006年、日産自動車株式会社入社。2012年、新構造燃料電池担当SIR。現在は法政大学大学院イノベーション・マネジメント研究科兼任教員、及び、東京ガス株式会社SIR。

本プロジェクト「THE MAGICIANS」は、AZAPA株式会社のカルチャーフィットプロジェクトとして2020年6月にスタートしました。コーディネーターは弊社CCO(Chief Culture Officer)のジェニア(Yevheniia Hrynchuk)、ライターは北条、カメラマンは槇野翔太で進めています。Instagramでは撮影の裏側も公開していますので、ぜひご覧ください。

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