イノベーションは継続的な改善の結果。そのためのサイエンス思考を身につけよ

MathWorks Inc. アドバイザー 大畠明氏


時代を切り拓くキーパーソンへのインタビュー、第9回は元トヨタ自動車理事で、MathWorks Inc. アドバイザーの大畠明氏。トヨタ自動車時代にモデルベース開発の礎を築き、日本の自動車業界に大きな進歩をもたらした。「モデルベースの神様」と称される大畠氏に、技術者が身につけるべき「サイエンス思考」の極意を問う。

(ミシガン州のGM訪問時に撮影した1枚。一緒に写っているのはMBDを目指していたGMのエンジニア。)

トヨタ時代に電子制御のシステムを量産化


―大畠さんは現在、MBD開発向けのツール「MATLAB」や「Simulink」の開発を手がけるMathWorks社のアドバイザーをしていらっしゃいますね。

もともとはトヨタ自動車時代、電子制御に関わる人材育成を手掛けたのがきっかけです。話はさかのぼりますが、1992年からトヨタの副社長になった金原淑郎(きんばら よしろう)さんというすごい方がいたんですね。その金原さんが当時、それまで高級車のエンジンにしか使われていなかった電子制御を一般車にも普及させるという大きな方針転換をしました。それがきっかけで、私たちは可変吸気システムといって、吸気系を運転条件によって切り替えるシステムを開発して量産化しました。その後、エンジン・車両電子制御システムに関わって行くことになりました。

―現在は一般的な電子制御も、普及の背景にはトップダウンの決断があったのですね。

電子制御を普及させたのは、金原副社長の最大の功績だと思います。今まで高級エンジンにしか使われていなかったものを、全部のエンジンに搭載しようとリードしたのですから、凄いですよ。そういう良い上司のもとで仕事ができたのはラッキーでしたね。

Wireframe holographic 3D digital projection of an engine on blue background


それで「これからは電子制御が大事だ」ということになったのですが、当時のトヨタの人材開発部がひどい企画をしてね(笑)。ひどいといっても社員から見ればの話なんですが、ある部門がデジタル技術を使って効率化できたから、人材が余っているはずだっていうんです。だから余った人材に別のスキルをつけて配置転換させたいと。ついては「お前が300人ほど、電子制御に関わる人材を育ててくれないか」ということで、教育プログラムを作ることになったんです。結局、「努力して効率化したところから人を抜くというのはどういうことか?」と強く反発され、当初の目論見は失敗するのですが、制御教育からいくつかの制御システムが量産化され、その後活躍する人材を育てることができました。 

そこで選んだのが、MATLABでした。MATLABを使えば複雑な計算もコンピュータで簡単にできますから。大学の先生方の協力を得て、基礎コースと中級コースのカリキュラムと教材を作り、上級コースでは受講者の抱える問題を解くという実践的な教育をやりました。

An Abstract technical Graph background design. 3D Illustration.


ボストンのMathworks本社で直談判


当時は「MATRIXx」という別のツールが自動車業界のデファクトスタンダードだったんですが、どう考えてもコストパフォーマンスが悪い。MATLABが離散事象と連続事象を同時に扱えるようなツールになってくれればそっちの方がいいなと思いつつ、MATLABにするかMATRIXxにするかですごく悩んだんですよ。それで「考えていても分からないから直接行ってみよう」と、MathWorks本社とMATRIXxの会社を見てくることにしました

―直接、アメリカの本社まで行かれたのですか。

そうです。ボストンの本社で開発者と会ったら、非常に熱心でね。ただ、熱意と能力はあるけど企業側の要求があまり伝わっていない。だから情報を注入してやれば、きっといいものを作るだろうと思ったんですよ。

(MathWorks本社のあるボストンでの1枚。同社とのつながりは20年以上になる。)

で、もうひとつのMATRIXxを開発している会社にも行ってみたんですが、そこはセールストークしかなくてね。買収を繰り返して機能を拡充していることが分かったので「これはダメだ」と思ってMathWorksを選び、一緒にStateFlowを開発することになりました。それから間もなく、そのMATRIXxの会社はなくなっちゃったんですけどね。

―買収されたのですか。

そうです。National Instlment社に買収され、世界標準だったMATRIXxが市場から消えてしまった。それで当時ちょうど我々がボストンへ行っていたときに、フォードとダイムラーの本社からも人が来ていることが分かりました。これはもうバラバラに要求を出すより一緒にやろうと思い、3社で共同戦線を組むことにしたんです。

Boston skyline at sunset from across the harbor


フォードの副社長と意気投合、2時間話し込んだ


フォードのサイエンティフィックラボの副社長でビル・パワーズという人物に、直接会いに行きました。「一緒にMBD環境を作りたい」と。彼は制御の出身で、私の大学時代の恩師ともつながりがあったんです。「日本人がわざわざ尋ねてきた、しかもこの日本人は制御をやっているらしい」ということで、彼も喜んじゃってね。スケジュール管理をしているマネージャーが、「40分だぞ!」といって怖い顔をしている横で、お互い楽しくなっちゃって2時間も話し込みましたよ。40分を過ぎたら、マネージャーがすごい顔で睨んできたんですが、おかまいなしでね(笑)

―そんな事情、国も会社を超えたつながりがあったとは驚きです。

その後、ダイムラーのシニアゼネラルマネージャーのアーミン ミウラーと会いました。彼がまたひどくてね。(笑)「共同開発の話は分かった」と。でもフォードとトヨタ、ダイムラーが集まる会議の第1回目は、ダイムラーに主催をやらせてくれ。その理由がなんと「トヨタやフォードの本拠地でやったら海外出張になるから、その方が安い」。もちろん、冗談でしょうが。

(MathWorksとの定期打合せの際、ボストンのある会社を訪問した記念に撮影。1997年。)

そういう経緯で、記念すべき第1回目の会議はダイムラーの本拠地ドイツで開催しました。彼らはやっぱり動きが早いですね。初回のあと「これはいいからぜひ続けよう」ということで、第2回目がトヨタ、3回目がフォード主催でMBD環境構築のためのコンファレンスをやりました。その後、日産、ホンダ、マツダ、GMやクライスラー、ロバートボッシュ、DENSOなども参加してきました。 

楽しかったですよ。日本では少数派でも、世界には同じ考え方を持った仲間が大勢いる。アメリカ、ヨーロッパの自動車会社の技術者やツールベンダーの開発者、航空機業界との関係が一気に広まりました。日本の中でも、航空機関係の名刺をたくさん持っているほうかもしれないね(笑)。大学の制御研究者とも広く人脈ができました。彼らとのやり取りは本当に刺激的でした。

開発というのは、要求を知ること


―MBDは自動車以外にも、幅広い開発に応用できるのですね。

特に航空機はコストダウンの要求が相当強くて、自動車のMBDを参考にしていると言っていましたね。そういえば航空機エンジンを作っているロールス・ロイスとディスカッションをしたことがあるんですが、「トヨタ自動車とそっくりだ」と思ったことがあります。彼らもいわゆる「継続的な改善」を重んじていたからです。

Industrial theme view. Repair and maintenance of aircraft engine on the wing of the aircraft


自動車というのはまず最初に物を作って、そこから継続的な改善を繰り返していくんですね。一方ソフトウェアの人たちは、はじめに要求があるから、システムを作る際は要求をしっかり書きなさいと言います。そういうトップダウン的なアプローチに対して、私が言うのは「どんなに優秀な原始人も月には行けない」ということです。 

科学技術は、多くの人がいろんな知識をどんどん積み重ねていった蓄積によってできています。その蓄積は論文という形で積み上がっていて誰でも利用できるわけで、いきなり新しいものを作ることはできません。要求や制約は初めから分からないんですよ。実際に物を作って、動かしてみたら、ここは駄目だったということが分かってきていろいろ改善していった結果、最終的に「本当の要求はこうだったんだ」と分かるんです。 

だから開発というのは、要求を知ることなんですね。要求が最初にあるなんていうのは間違った認識です。継続的に改善していくこと大切で、イノベーションは狙ってできるものではありません。トヨタ自動車ではよく「Whyを5回繰り返せ」と言いますが、一生懸命「どこが悪いんだろう」と考え、どこに問題の本質があるかを追求して手を打っていけば必ず良くなるんです。

doubt


AZAPAへの期待「イノベーションはあくまでも結果」を忘れずに


―イノベーションは、継続的な改善の結果ということでしょうか。

そうですね。イノベーションとは「インパクトが大きい何らかの改革」ですが、それはあくまでも結果に過ぎないと考えています。AZAPAもイノベーションを掲げていますが、私は少し誤解を受けかねないのではと危惧しています。はじめからイノベーションを求めてはならないんです。「イノベーションを起こすには、既存の状態を断ち切らなければならない」と考える人がいます。しかし、既存の状態を断ち切ると敵ばかり作りますよ。それに、原始人に戻ってしまうことになります。なんでも、自分ができるというのは奢りです。実際の開発はすごく複雑なので、自分の力だけではだめなんです。だから先人の成果が必要で、既存の開発を断ち切るようことを行ってはならないんです。MBDは製品の世代を超えて製品と開発プロセスを効率的に継続的改善を行う方法論ですから、現状のどこを改善すべきかをよく考え、的確に対応していかなければなりません。そうすれば、自然にイノベーションにつながるはずです。 

現状の何が問題で、どのように改善するかという認識がなければ間違いなく失敗します。だからAZAPAは「客観的に現状を観察し、合理的に考え、問題解決する」ということ、「イノベーションはあくまでも結果である」ということをもっと強調してほしいですね。

silhouette of virtual human and digital brain represent artificial technology.


サイエンス思考を身に着けよ


―では、イノベーションを起こせるような人材になるにはどうすればいいでしょうか。

「客観的データに従い、論理的・理論的に考える」ことですね。そうすれば自然に妥当な結論が出てきます。その結果が世の中で評価されるかどうか、イノベーションと言われるかは運次第です。私は全て「サイエンス」だと思っているんです。物理学も心理学も、文学さえもサイエンス。サイエンスにはサイエンスの思考方法があって、それは全てに共通します。 

私は文科省から「もっと自動車業界に数学を広めてほしい」といわれて、数学者の方達と数学普及のプロジェクトに参加しました。数学は「論理的に考えるというのはどういうことか」を教えてくれます。数学では、要素と要素の関係を議論します。一方で要素が何かは問わない。たとえば「点」や「線」がありますが、あれは「無定義用語」といって定義する必要がないんです。むろん、「点」は「部分をもたないもの」などの定義はあります。でも、それは数学的には大事なことではないんです。要素が何かを議論することには重要ではなく、要素同士の関係が大事なわけです

3D rendering abstract blocks of mathematical formulas that are in the virtual space. Camera inside the mathematical formulas


要素と要素の関係を見ていけば、本質は見えてきます。だから「システムとは何だろうか」と問うよりも、そのシステムを作る要素の関係、我部の要素との関係は何かというところに目がいった方がいい。それが分からず、変な理屈をこねまわしている人が結構いるんじゃないかな。 

客観的データに従い、論理的・理論的に考える。それをしっかりやり続ければイノベーションは起きます。実際にはそれが難しくて、他人の評価に引き引きずられ、自分で考えることをさぼってしまう人が多いようです。でも研究者や技術者であれば、それにあがなう術は心得ているはず。科学の方法論に基づいて、自分の頭で考えられるのが、真の研究者・技術者ではないでしょうか

大畠明 
上智大学客員研究員、MathWorksアドバイザー。日本におけるMBDの第一人者として知られる。東京工業大学 制御工学科を卒業後、1973年にトヨタ自動車入社。米国向けエンジンの先行開発や吸排気システムの開発などを手掛け、人材開発部からの依頼で制御理論教育を担う。そのほか筒内空気量推定、HEVシステム制御、バッテリーSOC推定、MBDの推進、 消費者機械のソフトウェアの信頼性に関する国際標準化、並列計算による過渡燃料制御の間接適合などに貢献。トヨタ自動車理事を経て、2015年退職。2015~2017年、株式会社テクノバシニアアドバイザー。
計測自動制御学会理事・常務理事・部門協議会議長・制御部門学術委員長などを歴任。情報処理推進機構ソフト ウェア・エンジニアリング・センター リーチフェロー、数学共同プロジェクト運営委員、日本数学会社会連携委員、九州大学IMI (Institute of Mathematics for Industry) 評価委員を務める。これまでにIEEE&SAE Convergence, The Award of the Most Outstanding Paper, 計測自動制御学会 最優秀論文賞、 自動車技術会 技術功労賞浅原賞などを受賞。

本プロジェクト「THE MAGICIANS」は、AZAPA株式会社のカルチャーフィットプロジェクトとして2020年6月にスタートしました。コーディネーターは弊社CCO(Chief Culture Officer)のジェニア(Yevheniia Hrynchuk)、ライターは北条、カメラマンは槇野翔太で進めています。Instagramでは撮影の裏側も公開していますので、ぜひご覧ください

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