「誰よりも速く、世界の頂点を目指したい」

14歳のプロレーサー、Juju(野田 樹潤)


複雑な現代社会にあっても、みずからの手で未来を切り開くキーパーソンたち。本連載では彼らを “MAGICIAN(マジシャン)”と定義し、インタビューを通じて、この世界の未来を占う道標とする。 

第5回は、野田樹潤(Juju)。時速300キロを超えるフォーミュラーカーの世界で、トップを目指す14歳だ。 

元F1レーサーの父のもと、3歳からカートを乗りこなし、4歳で出場したキッズカートレースで初優勝。その後も次々に記録を塗り替え、9歳のときに世界最年少でFIA-F4デビュー。異例づくしの記録を達成し、日本人初のF1優勝を目指すjujuさんにとって、前人未到の世界はどう見えているのか。

5歳で「プロレーサーになる」と決めた


―jujuさんが、プロレーサーになろうと決意されたきっかけは何ですか。

3歳の誕生日にカートをプレゼントしてもらいました。当時のことはそんなに覚えていないけど、小さな頃からお父さんのレースを見て「楽しいな」という思い出がありました。だから周りのみんなが自転車や三輪車に乗るような感覚で、カートを運転していたと思います。

 



4歳で初参加したキッズカートで優勝して、5歳のときに「プロレーサーになる」と決意。正直、私はレースを観戦することや、車自体にそこまで興味はなかったんです(笑)。観戦するよりも、とにかく走ることが好きで、楽しい!という感覚でした。

―お父さんは、元F1選手の野田英樹さん。小さな頃からjujuさんは、特別な感覚を持っていたのですか。

(父:野田英樹さん)最初のレースは、キッズカートですから周りも初めての子たちが多く、あっさり優勝しましたね。その頃はまだ、友達同士で楽しくやっている雰囲気でした。でもとにかく速いので、「この子は将来、女性選手としてすごいことをやるかも」と。だからこそ精一杯応援してきたし、彼女はその期待に応えて、1つひとつの課題をクリアしてきたと思います。

前例のない活躍、年齢制限での苦労も


―5歳でプロレーサーへの道を歩み始めたjujuさんですが、今までにターニングポイントとなった出来事はありますか?

(juju)いちばんは、9歳の頃に初めてスポンサーさんがついたこと。それがきっかけでF4のマシンに乗れるようになり、岡山国際サーキットで練習をはじめました。当時の年齢では、F4マシンを走らせてくれるサーキットがどこにもなかったんです。だから岡山国際サーキットさんが許可を出してくれたことは、すごく大きかったです。


―前例のない許可を得るにあたっては、交渉なども大変だったのではないでしょうか。

(野田英樹さん)岡山国際サーキットさんは、「夢をもって頑張る次世代を育成したい」ということで、前例のない許可を出してくれました。モータースポーツは、とてもお金のかかるスポーツです。せっかく才能があっても、金銭的な理由で夢を諦めざるを得ない子どもがいるのも事実。 

jujuが頑張っていて、フォーミュラーカーに乗れる能力をもっていても、日本では規制があって乗れない。ヨーロッパでは乗れる国もあるんです。その差が将来、日本人選手と海外との能力差になってしまうのはいけないという思いが、届いたのだと思います。

初の海外参戦、「日本人の女の子」として受けたクラッシュ


―2020年からは、デンマークに拠点を移されていますね。

(juju)日本では年齢制限があって、14歳だとF4の公式レースに出られません。今自分ができることを精一杯やるために、ヨーロッパへ拠点を移しました。デンマークの「F4 デニッシュ・チャンピオンシップ」は唯一、14歳でも参戦できるんです。

―6月に行われたデビュー戦ではみごと優勝を飾りました。9月の第2戦では、jujuさんの活躍を知った周りの選手からマークされることも増えたそうですね。

(juju)デビュー戦では優勝することができましたが、最初は周りがどんな状況かまったくわからなかった。日本では色んなレースで優勝してきたけど、デンマークでは「日本から来た女の子がレースに参戦するらしいよ」という感じ。最初は誰も相手にしていなかったと思います。 



でも開幕戦で、私がポール・トゥ・フィニッシュを飾ったことで、周りの選手の意識が変わり、レースごとにマークがきつくなりました。「日本から来た女の子に負けた」っていうのは、周りは悔しかったのかもしれません。理不尽な接車も経験しました。

チームとの信頼関係、アスリートはピュアであるべき


―前例のない海外参戦にあたっては、多くの苦労があるのですね。

(juju)前例のないことにはアクシデントがつきものだから、避けたい人が多いと思います。特に大人はそうかもしれません。うまくいくかは誰にもわからない。でも、私はその時々で、自分ができることをやるだけです。チームを信頼しているので、怖さはありません。 

(野田英樹さん)海外での苦労やマネジメントのあれこれは、juju本人が知らなくてもいい。モータースポーツはチーム戦で、選手のほかにメカニックやエンジニア、チームマネージャー、スポンサーさんなど多くの人が動いています。Juju本人は、結果を出すことでそれに応えればいい。アスリートは余計な雑音を感じず、ピュアでいるべきだと考えています。

モータースポーツ界でも女性活躍への動き


―今年からはフェラーリが主催する、若手女性ドライバーが対象のプログラム『FIA Girls on Track Rising Stars』(ガールズ・オン・トラック・ライジングスターズ)にも参加されています。モータースポーツ界にもジェンダー平等を目指す動きがあるのでしょうか。

(野田英樹さん)モータースポーツはこれまで男性中心で、優秀な女性がなかなか活躍できていませんでした。jujuも経験しましたが、男子選手が「女の子に負けたくない」と、無理やり車をぶつけてくることもあります。他にもレース会場で、女性ドライバーには着替えの場所すらないなど、まだまだ環境は厳しい。これを変えていかなければということで、国際自動車連盟(FIA)も女性選手の活躍の場を作ろうとしているんです。


―フェラーリのプログラムでは、メディア対応なども学ぶと聞きます。

(juju)メディア対応は、言葉ひとつで周りの受け取り方が変わるので、気をつけています。でもマイナスなことを言っても変わらないので、できるだけ明るく。私はもともと単純で、ネガティブな状況になっても周囲にポジティブな言葉をかけてもらえば、前向きになれるんです。だから、どんどん上げてもらいたいタイプ(笑)。今年の夏はオンラインでのファンミーティングを初めて経験して、ファンの方一人ひとりとお話しできたのも嬉しかったです。

「女性だから」というプレッシャーは感じない


―海外で「日本人初」「女性初」などのプレッシャーを感じることはありませんか。

プレッシャーに感じることは、実はなくて。レース中は言葉が必要なくても伝わるものがあるし、海外にも、身近にも応援してくれている人がいるので心強いです。自分が男性とか女性とかもあんまり意識したことがなくて、いちばん気にしているのは周りじゃないかな。 

もちろん筋肉の付き方が男性とは違うとか、不利な条件もあります。だからといって損ばかりじゃない。こうやって取材をしてもらっていることも、女性ドライバーの肩書があるからかもしれません。注目されれば応援してくれる人も増えるし、女の子だからこそ、他の女の子にも影響を与えられるかもしれない。悪いことばかりではないと思うんです。

―最後に、“MAGICAN”のように社会を変革する存在になるためには、何が必要でしょうか。

自分がいくら「こうなりたい」と思っても、周りが応援してくれないとなれませんよね。結果を出せているかどうかは、周囲が決めること。好きなことをまっすぐやって結果を出せば、周りの人たちが自然と応援してくれるんじゃないかな、と思います。 

私は最終的にトップカテゴリ、フォーミュラーの頂点を目指したい。F1でもフォーミュラーEでもインディーカーでも、トップカテゴリの車に乗って、レースに勝つのが目標です。とにかく自分が今、できることを一生懸命にやっていく。そうすれば、自然にチャンスは巡ってくると思います


Juju(野田 樹潤 / Juju Noda)

3歳でカートに乗り始め、4歳でカートレースデビュー。元F1レーサーである野田英樹の下、5歳でプロレーシングドライバーになることを決意。その後も各レースに出場し、最年少での優勝を次々と果たしていく。 2017年3月コースレコードを0.9秒上回る記録を出し、4月のU17のデビュー戦では、11歳ながら240km/hを出すF4プロレーシングドライバーとして優勝。最年少F4ドライバーとして鈴鹿サーキットの走行も果たす。 2018年からF3への挑戦が始まる。2019年は前年に続いてフォーミュラーU17への参戦に加え、2020年を見据えて海外での走行トレーニングを開始する。2020年、デニッシュF4チャンピオンシップ参戦でヨーロッパへ。

本プロジェクト「THE MAGICIANS」は、AZAPA株式会社のカルチャーフィットプロジェクトとして2020年6月にスタートしました。コーディネーターは弊社CCO(Chief Culture Officer)のジェニア(Yevheniia Hrynchuk)、ライターは北条、カメラマンは槇野翔太 で進めています。Instagramでは撮影の裏側も公開していますので、ぜひご覧ください。

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